それからの光秀 一
2020-05-07
それからの光秀 一
朦朧とした気分がしばらく続いたあと、次第に目が覚めてきた。 長い眠りについていたような気もするし、ほんの数刻だったような気もした。
意識が覚醒してくると、光秀は大空の空間をただよっているような気がした。 さらにあたりに眼をやると、なにやら目の前に人体のようなものが浮いていて、 じっとこちらを睨んでいる。
〈はて、面妖な〉
光秀はよく眼をこらして見つめると、思ったとおり人体らしいが、 何も身につけておらず、身体全体は薄青く、下半身は透明に近い。 顔かたちも青白く頭髪はなく、眼光は鋭い。
〈妖怪変化?〉
「やっと目覚めたか。 おまえはいま霊界にたどり着いたのだ。 わしはこの第三十八霊団の霊を束ねている者だ」
訝る光秀に、太くて威厳のある声が聞こえてきた。
〈そうだ、おれは死んでいたのだ。 するとここは地獄か、極楽か〉
光秀はしばし黙したまま霊団の長と名乗る男を見つめていた。 ここで彼は初めていま己れがどんな姿形をしているのか気になってきた。 すると自然に自分の身体が頭に浮かんできた。 やはり身体全体が霊団長と同じく薄青く、彼よりも細身である。 頭髪も口ひげもなく、顔立ちそのものは生前に近いように思った。
「霊界は、生前の地上に怨みがあるもの、 心残りがあるものだけが来るところだ。 当然入れ替わりもある。 霊団は無数にあり、一霊団三十、すなわちわしは三十の霊を管理している」
霊団長は、たんたんと述べ、時折光秀を見つめながら、さらに続ける。
「霊団といっても霊をひとところに集めてあるわけではないが、 互いに呼び寄せるのは可能だ。 それにもう一つ大事なことがある」
霊団長は、よく聞けとばかりにまた見つめる。
「この霊界で霊力というものを授かり、一度だけ望みを果たすことができる。 おまえもここへ来たということは、まだ地上に怨みが残っているということだ。 ゆっくりと晴らすがよい。 そうそう、おまえが戦で敗死したのも、織田信長という男が、 ここから霊力を発揮したからだ」
「えっ、それはどういうことですか」
「それは本人から直接聞けばよい。 間もなくこちらへ来るはずだ。 ただし地上での主従関係は消滅している。 霊界はすべて対等だ。 さむらい言葉や敬語も必要ない」
かつての主君信長とこれから対面すると聞き、沈着な光秀も少しうろたえた。 霊団長はそれを見逃さない。
「そう恐れることはない。 いま言ったとおり、ここへ来ればかつての主君といえども対等だ。 おまえ、と言われれば、なんだ、と答えればよい。 信長も心得ているはずだ。 それともう一つ、霊界から地上への恨みを晴らしたあと、 それぞれの霊は黄泉へと送られる。 黄泉では地上での煩悩がすべてぬぐい去られる」
「待ってください。それでは地獄とか極楽は存在しないのですか」
「そんなものは知らない。 死後の世界はいま、わしが説明したほかは何も存在しない」
地上では信心深かった光秀にとって、霊団長の言葉は衝撃であった。
「それでは地上で悪事をはたらいた者までもが、 無事に黄泉へ行けるということですか」
「そのとおり。黄泉へ入る前にすべてを懺悔すれば許される」
「そんなことは・・・」
光秀は絶句する。
「よく考えてみよ。 赤子のまま死んだ者は別にして、地上で何ひとつ悪いことをしなかった者は、 誰もいないであろう。 もし地獄、極楽とやらが存在したとしたら、地獄は送られてきた者であふれ、 極楽は無垢の赤子などごく少数となるではないか」
言われるとおりである。 われわれ戦国武将は多くの人々を殺傷してきている。 極楽へ行ける者は誰一人いないであろう。 それでも光秀はすぐには割り切れない。
「まだ納得できないようだが、そのうちわかってくるだろう。 わからざるを得なくなる」
「・・・」
光秀は言葉もなく、霊団長を見つめるのみである。
「それではわしはもう行くぞ。 用があれば頭で念じてみろ。 すぐに現れる。そろそろ信長が来るころだ」
霊団長は静かに広い空間を消えるように去っていった。 これから信長を迎えることになるが、 いつの間にか自分が討ったかつての主君に対する畏怖心が消えていることに光秀は気づいた。
それからの光秀 二
2020-05-07
それからの光秀 二
明智氏は美濃国土岐一族で清和源氏の後裔といわれ、 光秀は、父が同国明智城(岐阜県恵那郡)で戦死したときにそこを逃れ、 諸国を浪々したのち越前の朝倉義景に仕えた。
足利義昭が朝倉氏に流寓したとき、光秀は義昭に認められ出仕することになる。
将軍職を嘱望する義昭の意を受けた光秀が、義景にしきりに上洛を促すが、 優柔不断な義景は容易に応じない。 そこで光秀は義景に見切りをつけ、 義昭に従って逗留していた細川藤孝とともに織田信長に工作し、 二人で義昭と信長の申次を務め、両者を結合させることに成功する。 永禄十一年(一五六八年)九月二十六日、 織田信長が足利義昭を奉じてついに上洛を果たす。 続いて十月十八日、義昭は室町幕府第十五代将軍となる。
その後、義昭と信長の激しい権力争いが生じ、 天正元年(一五七三年)七月、信長が義昭を追放し、室町幕府は滅亡した。
光秀は、この二年前の元亀二年に信長から近江坂本城を与えられると、 義昭に暇を乞い、これまで将軍家と織田家に仕えていたのが、 完全に信長の重臣となっていた。 彼は故実典礼に通じ、 教養豊かでそのうえ武人としても城攻めなどにすぐれた戦略を発揮していく。
信長は入京以来、光秀の学識と朝廷や公家に対する巧みな外交手腕を高く評価し、 重用してきた。
尾張の小大名時代から仕える織田家譜代の家臣団には光秀のような人物は存在しなかった。 その上、戦場においても、 信長の天下取りには最も重要な拠点とされる畿内の平定に戦果をあげ、 信長から「光秀のはたらきは天下の面目を施した」とまで評価され、 譜代の重臣柴田勝家、佐久間信盛と肩を並べるほどになっていく。
しかし、信長がほぼ天下を掌握し確固とした地位を築いていくにつれ、 次第に光秀を必要としなくなっていた。 それどころか近ごろでは、その学識ぶりがうとましく思うようになっていた。
そこへ羽柴秀吉の台頭が目立ってきた。 光秀は秀吉との出世競争には常に先んじてきた。 光秀が坂本城主となった二年後に秀吉が長浜城主となっていくように。
ところが近ごろの秀吉の中国毛利攻めの著しい戦功により、追いつかれ、 すでに追い越された感にある。
天正十年三月、光秀は甲州武田攻めに信長に従い上諏訪におもむいた。
武田勝頼とは七年前に長篠で対峙し、 鉄砲の三段撃ち戦術により完膚なきまでに打ち破っていた。
長い柵を設け、千挺の鉄砲を三隊に分け、一隊が撃ったあと、 弾込めをしている間に次の隊が撃つ、 最後の三隊が打ち終わったあと弾込めを終えた最初の隊が撃つ、 これを繰り返し間断なく射撃するという意表を突いた戦術で、 怒濤の如く迫り来る武田騎馬隊を難なく仕留めた。 戦国最強といわれた騎兵軍団を。
鉄砲隊は足軽で編成されている。 その足軽のみで亡き信玄の名将である馬場信房、山県昌景、 甘利信康などがことごとく討ち取られた。 これほどの戦果はない。
「かような発想がいかにすれば浮かんでくるのか。 わしなどには、とうていおよばぬことだ」
光秀は信長の天才的な戦術に感服したものである。
今回の甲州攻めは二月の初めから嫡男信忠を大将として取りかかっていて、 織田軍の圧勝の形でほとんど決着がついていた。
信長率いる軍は、信忠軍にひと月遅れて後詰めの形で出陣したが、 戦うこともなく上諏訪まで来ていた。
その夜、法華寺に宿泊し酒宴がはじまった。
酒席に連なった武将たちは、 それぞれ今度の甲州攻めに示した信忠の働きを誉めた。 働きといっても高名な武将を失い、武田信廉、 穴山梅雪ら一族の離反した武田軍は、すでに強敵ではなくなっていた。
それでも光秀は祝いの口上を述べた。
「われら織田の軍勢、多年骨折ったかいがござった。 いまはこのとおり諏訪のうち、上様の兵で満ち満ちてござる」
突如信長の甲走った怒声が宴席に響いた。 光秀は最初自分に向けられたものだとはわからなかった。 それを知ったとき彼の心に戦慄が走り、一瞬青ざめた。
「光秀、ここへ来い」
眼のつり上がった怒りの形相を眼にした光秀は、いそいで平伏した。 さきほどからの、ほのかな酔いは一気に引いていた。
「なにごとか、お気に障られましたか」
「白々しいことをぬかすか。 われらとは、うぬがことか。 こたびの戦でうぬがどのような働きをしたのか、申してみよ」
しまった、と思った。 これまで他の武将に対する、このような場面を何度か見てきたが、 自身が耳にするのは初めてのことである。
どん底に突き落とされていく気持ちを、 何とか立て直しながら光秀は畳に額をすりつけんばかりに謝った。
「お許しくだされ。心づかぬことを申し上げましてござる」
いきなり盃が飛んできて肩口に当たった。
「痴れものが。そうそうに失せろ」
その場を退座した光秀に激しい恐怖心が襲った。
「わしも佐久間信盛殿と同じ轍を踏むのか」
先年、織田家譜代の筆頭ともいうべき佐久間信盛が、 摂津石山本願寺攻めの無策を糾弾され、紀伊国高野山へ追放された。 信長は能力のあるものは門閥を問わず重用するが、功なきもの、 必要なくなったものは譜代の重臣といえども容赦なく追放する。
甲州攻めの前年二月、信長は京都で盛大な馬揃えを行っていた。 馬揃えとは観兵式のようなもので、式場(馬場)を御所の東側にもうけ、 名馬を取り揃え麾下の軍勢で編成した騎馬隊を行進させ、天皇に供するのである。 織田軍団の威容を天下に示す目的もあった。
光秀はこの馬揃えの奉行を命じられた。 馬揃えは信長の思惑どおり朝廷への示威となり、 多くの観衆にも事実上の天下人であることを示した。
「そち以外に奉行の役目を果たせるものはおらぬぞ」
式を終えた信長は上機嫌で、見事馬揃えの采配を振るった光秀を褒めた。
しかし、信長が光秀を重用したのはこの馬揃えまでであった。 その後次第に遠ざけていく。 甲州攻め従軍にしても、 もはや取るに足りないほど弱体化した武田軍相手では光秀にとってそれほど重要な役割はなかった。
それに比べ他の武将はといえば、各地で華々しい戦いを展開している。 柴田勝家は越後の上杉軍と、滝川一益は小田原北条軍、 そして羽柴秀吉は中国の毛利攻めにそれぞれ戦果をあげていた。
「わしだけが取り残されている」
そんな思いが光秀に生じていた。 そのような中での信長からの罵声である。 彼はこれから先、恐ろしい主君にどのように仕えてよいのやら、 思い悩むばかりだった。 甲州から帰陣して二ヶ月後、光秀は信長から中国地方に出陣を命じられた。
「いよいよ上様に見捨てられたか」
光秀は絶望的な思いでその命を受けた。 中国攻めは秀吉が主将として長期に渡ってすぐれた戦略を発揮し、 いま大詰めを迎えようとしている。 要領のよい秀吉は信長に華を持たせようと出馬を要請したのである。 したがって形の上では光秀は総大将の信長に従うことになるが、 実質上は秀吉の組下で働くことになる。
同じ時期、四国の長宗我部攻めは信長の三男信孝と丹羽長秀に命が下った。 長宗我部との交渉はこれまで光秀が当たってきており、 戦になれば当然自分の出番だと思っていた。 それに三七郎信孝とは彼の幼少のころから通じ合う仲であった。 厳しく恐ろしい父におびえる信孝を 「上様は三七様に期待しておられるから、厳しくあたるのでござるよ」と、 光秀はいつも励ましていた。
四国攻めで信孝を嫡男信忠、二男信雄に劣らない大将に育てる算段であった。
光秀はこれまで同格であった秀吉らに大きく引き離されていく我が身を愁えた。 もう追いつくことは不可能に思えた。
天正十年(一五八二年)六月一日亥の刻(午後十時) 明智光秀は一万三千の兵を率いて、丹波亀山の居城から京へ向かっていた。
これより先の五月十七日、光秀は信長から中国地方出陣の命を受けると、 さまざまな思いに駆られながらも、すぐさま安土から本拠近江坂本に帰り、 二十六日坂本を発して亀山に入った。 そこで直ちに出陣の準備に取りかかっていると、思いもよらぬ情報が入った。
信長が馬廻り衆、小姓衆と女中ら七十余人で二十九日に安土城を発って上洛、 四条西洞院の本能寺に宿泊し、嫡子信忠も二千の兵を率い二条明覚寺に宿陣しているという。
このとき光秀の胸中に、突如いままで考えも及ばなかった思いが込み上げてきた。
〈神仏をも恐れぬあの悪鬼に鉄槌を。今が好機〉
十一年前の元亀二年(一五七一年)、信長は比叡山を焼き討ちにし、 僧俗、女、小童の区別なく数千の頸を打ち落とした。 その虐殺された僧侶の囁きが耳の奥に聞こえたような気がした。
〈馬鹿な。わしも叡山の襲撃には加担しておるわ〉
光秀は即座に打ち消した。 しかし〈今が好機〉と、己れの思いと通じ合ったその声は、 彼の胸裡にしつこくつきまとった。
そして本能寺へ。
それからの光秀 三
2020-05-07
それからの光秀 三
「よーっ。やっと到着したか。待っていたぞ」
霊団長が去ってほどなく信長らしき霊が現れた。 生前と同じ細面ではあるが、こちらも髷、口ひげもなく、 神経質そうな表情はすっかり消え、穏やかな顔立ちである。 姿形は光秀と同じく薄青く下半身も透明に近い。
「おーっ、しばらくだったなあ」
自然に対等な言葉が出てきて、光秀は自身でも驚く。
「霊団長から聞いたと思うが、霊界とはこういうところだ。 おれはおまえに恨みを晴らすことで霊力を使い果たしてしまったが、 おまえはこれからだ」
「それはどういうことだ。 さっき霊団長もそれらしきことを言っていたが、 くわしいことは直接信長から聞けといわれた」
「おまえはまだ秀吉がなぜあんなに早く引き返すことができたか、 なぜ細川藤孝や筒井順慶が味方しなかったのか、今でもわからないだろう」
信長は親しげに、旧来の友のように語りかけてくる。 光秀も何のためらいもなく受ける。 地上における二人のあいだの確執はなかったかのようだ。
「そうだ、おまえを本能寺で襲ったあと、畿内を掌握し、 秀吉、勝家らを迎え撃つ。勝算は充分にあった。 ところが四日後には秀吉の大軍が姫路に着いた。 なぜだ、と思った。 藤孝と順慶は当然おれに組すると確信をもっていた。 だのに裏切られて本当に痛手だった。 しかし、秀吉軍の大返しでおれの運も尽きたと思った。 秀吉との戦いは避けられないのはわかっていたが、 こちらの体制が整ってからのことだ。 それがあんなに早く来るとは・・・。 好敵手とは思う存分戦ってみたかった。 山崎の合戦で対等の兵力で戦えなかったのが、今もって残念だ」
光秀は率直に話しかける。 ここでは裏も表もなんらの駆け引きもない。
「おまえが腑に落ちないのももっともだ。 おれが本能寺で殺られてこの霊界へ送られた。 おまえに恨みを持っていたからだ。 おまえが襲ってくるとは夢にも思わなかった。 百人足らずの供廻りに一万三千で押しかけてきた。 なぜ光秀が、と思う間もなかった。 この恨み晴らさずにおくものかと思った。 おれはここから霊力を使って、 まずおまえが送った毛利方への使者を秀吉軍に迷い込ませるよう仕向けた。 もう一方も嵐の中で滞らせ、 秀吉と毛利の和睦が成ったあとでたどり着くよう仕向けた」
光秀は本能寺のあと間を置かず、中国地方の毛利家の協力を求めるため、 信頼のおける二人の部下をそれぞれ陸路と海路に分けて使者として送った。 毛利には足利義昭が逗留している。 その義昭は光秀が微妙な立場に置かれていることを知り、 盛んに謀反をそそのかしていた。 陸路からの使者は闇夜、激しい風の中、 秀吉軍を毛利方とまちがい捕らえられてしまう。 そこで秀吉にすべてを知られ、有名な大返しとなる。 一方の海路側の使者は嵐に遭って難航し、毛利方に着いたのは和睦成立後であった。
「そうか、そういうことか。 それでようやく疑問が解けた。 あの使者は二人とも確かな男だ。 どうしてあんな無様なことをするのかと、信じられなかった。 この時点で勝負が着いたようなものだ」
「いや、まだ妨害は続く。 おれは藤孝と順慶にも取り憑いた。 やつらはどちらもおまえに味方するつもりでいたのだ。 おれは二人にささやいた。 四日のちには必ず秀吉の大軍が戻ってくる。 《おまえたちが光秀に味方すれば、家は滅びてしまうぞ》としつこく取り憑いた。 念を入れて朝廷の公家どもも操った」
光秀は聞きながら、うーんと首を捻った。
「おれは信長が、いずれ朝廷を滅ぼしにかかるだろうとにらんでいた。 合理的な考えのおまえさんのことだ。 名実共に最高の地位でなければ承知できなかったはずだ。 それを見破ったのはこのおれだけだ。 秀吉なんかはおまえに取り入ることだけに汲々としていて、 考えも及ばなかっただろう。 おれは千年以上も続く朝廷に弓を引くとは、何と恐れ多いことか、 何とかして守りたいと思った。 関白家とも秘かに連絡をとった。 《信長殿が天下を完全に制覇したら、 鉾先を朝廷に向けてきますぞ》と信頼できる公家衆にも説いてまわった。 隠密行動をとったつもりだったが敏感なおまえは、おれの動きをすぐ察知した。 今まで重用してきたおれに対し、すさまじいばかりの圧迫を加えてきた。 今までのおまえのやりかたを見てきているので、 本当に恐ろしかった、途方にくれた。 こうまでして守ろうと必死に働いてきたのに、公家どもは冷たかった。 これもおまえが操っていたからか」
「おれは秀吉のハゲネズミよりも光秀の方を買っていたのだ。 嫡男の信忠よりも三男の信孝に眼をかけてくれた。 そんなおまえを信頼しきっていた。 だのにおれの妨害に動いた。 許せなかった。 他の家来どもはおれには恐れおののき、どんなことにも従った。 批判の眼差しを向けてくるのは光秀だけだ。 あいつさえ追い落とせば、あとは思いのままだ。 中国を平定したら、ゆっくりと取り掛かろうかと思っていた矢先に本能寺で殺られた。 先手を打たれたわけだ。 今では自業自得と思っているがなあ」
信長は淡々と語る。 遙かかなたのできごとのように。
「おれだって直前まで謀反なんて考えたこともなかった。 しかし、足利義昭が公家を通じて盛んに促してくる。 それだけなら無視するのだが、おれにも霊が取り憑いていた。 比叡山の坊主ども、それにおまえに滅ぼされた朝倉義景、浅井長政らの武将たちだ。 そのほとんどにおれも加担しているのに・・・。 そこへ百人足らずで本能寺の逗留だ。 霊たちは《今が千載一遇の好機だ》と盛んに囁いてくる」
「そうか、おまえにも霊が憑いていたか。 もっともその霊たちも、おれがここへ着いたときは黄泉へ旅立ったあとだったがなあ。 目的を果たしたからだろう」
「おれは霊たちの囁きに負けた。 そればかりか、これは天が与えてくれた二度とない好機だ。 秀吉は中国、勝家は北陸、他の有力な武将も各地の前線で戦っている。 信長は裸同然で邪魔者はいないではないか。 つぶされるのを待っている手はない。 それに天下はすでに九分どおり信長が治めている。 天下平定は自分の手でやろう、平定後の行政手腕はおれのほうが上だと思った」
それまで静かに聞いていた信長が、一瞬驚いたような表情を見せた。
「本当におまえのほうが行政手腕は上だと思っていたのか」
「うん。 おまえは乱世では天才的な戦略で天下を制してきた。 先ず今川義元の大群をわずかな手勢で打ち破った。 次に毛利水軍との戦いでの鉄甲船の出現だ。 これには舌を巻いたよ。 よくあのような発想が浮かぶなあと思った。 それに長篠での鉄砲三千挺による三段撃ちだ。 おれなんか到底およばないと感服したよ」
信長は畿内を制するのに、最大の強敵といえる摂津石山本願寺と戦っていた。 本願寺を毛利勢が支援していて苦戦が続いていた。 毛利から戦さに必要な物資を運んでいたのが村上水軍である。 織田軍がこの物資補給を絶たなければ本願寺はいつまでたっても落ちない。
しかし、村上水軍の焙烙という、火の玉が飛んで来るような新兵器に、 信長配下の九鬼水軍の軍船は焼かれ、壊滅状態に等しい打撃を受けていた。
そこで信長は焙烙火矢を浴びても燃えないような鉄の船を造ることを思いついた。 これは信長でなければできない発想である。 木造船だから燃やされるが、鉄甲船であれば焙烙なんか怖くはない。
この鉄甲船六艘を完成させるまでには一年を要した。 その間に体勢を立て直した九鬼水軍は、 鉄甲船に大筒(大砲)を装備させ、大阪湾に回航させた。 六艘は村上水軍得意の焙烙火矢にはびくともせず、逆に大筒で大打撃を与えた。
鉄甲船は長期戦や遠洋航海には向いていない。 当時はまだ防錆技術が発達しておらず、 長く航海していると錆が回って使用不能になるからである。
あくまでも短期決戦を想定した信長特有の作戦が功を奏したといえる。
この戦いを制した信長は大阪湾の制海権を奪い、本願寺への補給路を断ち、 対本願寺戦の最終的な勝利へとつながっていった。
光秀は信長の鉄甲船を造るという奇想天外な発想に度肝を抜かれ、 自分なんか到底及ばないことを実感したのである。
「乱世では信長の実力は他の戦国武将よりも抜きん出ていた。 武田信玄が生きていれば信長に取って代わったであろうという者もいるが、 おれはそうは思わない。 同じ戦力、同じ条件で戦ったとしても信長が勝つだろうと信じていた。 さっきも言ったように、おれなんかとても太刀打ちできないという思いが深かった」
信長は軽くうなずく。
「しかし、おまえは乱世でこそ優れているが、治世には不向きだ。 確かに楽市、楽座のように一時的には適切な施策をとっても、長期的には無理だ。 おまえは気が短すぎる、というより癇癖が過ぎた。 病的だった。 比叡山、伊勢長島の殺戮、それに気に入らぬ譜代重臣をいとも簡単に追放してしまう。 あんなことをしていたら、せっかく天下をとっても長続きはするまい。 おれなら長期政権を樹立していく自信があった」
「そうかも知れない。 おまえは識見が深いし、沈着だった。 おれは見る眼が曇っていたのかなあ。 重用するのはハゲネズミではなく、キンカ頭だったのかも知れない」
信長は小柄で頭髪が薄く、顎にも髭の生えていない秀吉をハゲネズミ、 頭髪のてっぺんが少し薄い光秀をキンカ頭と呼んでいた。
「ところで信長よ、おれに対する恨みを晴らしたので、 もうすぐ黄泉へ行ってしまうのではないのか」
「いや、おれはまだ地上で気にかかることがあるんだが、 霊力は使い果たしてしまった。 それでおまえに頼みたいことがある」
「織田信長が明智光秀に頼みごとか」
「まあ、そういうイヤミを言うなよ」
信長は照れながらも真剣な表情を光秀に向けてきた。
それからの光秀 四
2020-05-07
それからの光秀 四
「実はな、地上でのハゲネズミの行動が気にかかるのだ。 あいつは、せっかくおれがつかんだ天下を奪おうとしている。 信雄も信孝もあいつに殺られそうだ。 息子らを守ってやるにも、おれは霊力を、 おまえを倒すことに全て使い果たしてしまった。 だからおまえに頼みたいのだ。 まだ使っていない霊力で息子たちを守ってやってくれ。 おまえは信孝をかわいがっていたではないか」
信長は光秀にすがるような眼差しを向けてくる。 天下に君臨していたときのような面影はない。
「それは虫のいい話ではないのか。 おれの霊力はおれの思いどおりに使いたい。 おまえもそうしただろうが。 それに信孝は、おれが負けた天王山では、 秀吉と組んで攻撃してきたではないか」
光秀は信孝を嫡男の信忠よりも器量が勝っていると見ていて、 できるかぎり支えてやろうと長年思ってきた。 しかし、山崎天王山の合戦で秀吉にかつがれ光秀に挑んできたとき、 彼との決別を実感した。
「それは親の仇敵を討つという大義があったから、やむを得なかったのだ。 信孝は秀吉を嫌っていた。 おまえもわかっていただろうが」
「そんなことを言われてもなあ。 秀吉は足軽にすぎなかったのに信長のおかげで大大名にまで出世したのではなかったのか。 その恩人の息子をつぶそうというのか。 おれも牢人から取り立ててもらった主君を討ったワルだが、 秀吉は比べ物にはならないほど信長には恩がある。 だのに天下を狙っているのか。 相当なワルだな」
「そうだ、あのハゲネズミは光秀よりもっと悪い。 極悪人だ。 おれはあいつにたぶらかされていた」
「信長公でもたぶらかされるのか。 おれには考えもつかなかったことだ」
「またイヤミを言う」
信長は何とも言えない嫌な顔をする。
「先ほどの話だが、おまえは目的を果たしたから、 すぐ黄泉へ行かなくてもいいのか」
「いや、霊団長にもう少しここへ残れるよう許可をもらってきている。 黄泉へ行くときはおまえと一緒だ」
「そんなことができるのか。 それはいいが、ともかく霊力の使用にはおれなりの考えがある」
「それはなんだ」
「今はまだ言えない」
天正十年(一五八二年)六月十三日、 山崎の戦いで明智光秀を破った羽柴秀吉は、 織田家からの天下乗っ取りを着々と進めていた。
同六月二十七日に、光秀討伐が一段落したところで、 信長の重臣たちが尾張清洲城に集まり、信長の後継者を誰にするか、 遺領の分配をどうするかなど談合した。
集まったのは、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興、それに秀吉の四人である。
本能寺の変で信長の嫡男信忠も戦死してしまったため、 後継者としては次男の信雄か三男の信孝かというのが世間の噂であった。 信雄は万事軽率なところがあり、信長の生前も信頼が薄かった。 かたや信孝は本能寺の変直前には四国攻めの総大将に任ぜられるなど、 武将として信長の信頼を得ていて、信雄よりもはるかに優れていた。 清洲会議で勝家は信孝を後継者に強く推したが、信雄を推すものは誰もなかった。
ここで、それまで黙っていた秀吉が突然手を上げた。
「武家にとって大切なのは筋目である。 ここは三法師様を推すのが妥当と存ずる」
三法師とは、信忠の長男、すなわち信長の嫡孫だが、まだ三歳である。
秀吉にとって、織田家の天下を奪うには、信雄、信孝の二人は邪魔者である。 三法師なら意思を持たない幼子で、どのようにでもできる。
普通なら勝家が推す信孝のほうが戦国武将としての実績もあり、 二十五歳という年齢で、後継者として文句のつけようがなく、 有利に運ぶはずであった。
信孝が後継者となると秀吉は天下の実権を握れない。 ゆえに三法師を強く推す。 秀吉は山崎の弔い合戦を制しているので発言力が強かった。 加えて事前に長秀と恒興を取り込んでいたのである。 二人とも秀吉を支持した。
こうして清洲会議は、 織田家の後継者をわずか三歳の三法師丸に決定してしまった。
光秀と信長は清洲会議の情況を霊界から見通していた。
「勝家のばか者が。 まんまとハゲネズミの術中にはまっておるわ。 長秀も恒興も利用されているのが、わからんのか。 いずれやつらも秀吉に滅ぼされるぞ」
これまで物静かであった信長が急に声を荒げた。
「どうして信孝を推さないのか。 三法師ではハゲネズミの思いのままだ。 見え見えではないか」
「ああいう男を取り立て、重用してきたのが信長、おまえだぞ。 自業自得ってもんだ。」
光秀は冷たく突き放す。
「おれが見ていても歯がゆいけどな。 まあ、じっくりと地上の成り行きを見守ろうか」
それからの光秀 五
2020-05-07
それからの光秀 五
天正十一年四月、天下をにらんで対峙していた羽柴秀吉と柴田勝家がついに衝突した。
無能な信雄を退け織田家後継者に選ばれるべきと確信していた信孝は、 秀吉にしてやられ、憤懣やるかたなく、勝家と組んで秀吉と対決した。 賤ケ岳の戦いである。
この戦いは前田利家の裏切りなどにより秀吉軍が圧倒。 勝家は越前北の庄城で夫人お市の方(信長の妹)とともに自刃した。
勝家を倒した秀吉は岐阜城の信孝を攻めた。 先年、信孝は三法師の奪い合いで、秀吉に岐阜城を包囲されたことがある。 そのとき降伏した信孝は秀吉に母と娘を人質に取られていた。 母とは信長の側室である。
秀吉は信孝が勝家に組したので、二人の人質を磔にかけて殺してしまった。 一人はつい半年前までは主君信長の妻であり、もう一人は信長の孫である。
信孝は落胆する間もなかった。 勝家亡きいま多勢に無勢、孤立無援である。 信孝は死を覚悟した。
そこへ「降伏開城すれば命だけは助ける」と秀吉の使者がやってきた。 信孝はそれを受け入れた。 だが、これは秀吉の巧妙な罠だったのである。
降伏した信孝は、ただちに城を出て知多半島の西南端に近い野間大御堂寺に身柄を移された。
そこへ追い討ちをかけるように兄信雄から「ただちに切腹せよ」との書状が届いた。
信孝はそのとき初めて罠にはまったのを知った。
「命を助ける」と秀吉が言ったのはなぜか。 もしも信孝が岐阜城で切腹し城に火をかけていたら、 その時点で秀吉は〈主殺しの極悪人〉となり、 明智光秀と変わらなくなってしまう。 これを避けるために「助命する」と言ったのである。
そして、仲の悪い信雄をそそのかして、兄の命令ということにした。 こうすると秀吉の責任にはならない。
秀吉はこうして、信長の後嗣としての器量をそなえ、 将来の対抗者となる恐れのある信孝を抹殺したのである。 残るは無能な信雄と幼児の三法師のみ、秀吉の思いどおりとなった。
信孝は切腹に際して、ハラワタの中に手を突っ込み、中身を壁に投げつけた。
「この怨み、死んでも忘れぬ。 主を討てば、いずれ天罰が下るぞ。 ・・・報いを待っておれ、羽柴筑前」
信孝は呪いの言葉を吐きながら息絶えた。 ときに二十六歳。
「あのハゲネズミのやつ、信孝を殺しやがった。 なんということだ。 信雄のバカが」
霊界から地上の動きを見ていた信長がうめくような声を出した。 彼にはもう霊力がないので信孝を守ってやれない。 頼みの光秀も冷たい。
生前の信孝は、父信長や兄信忠の陰に隠れて目立ってはいなかったが、 光秀が見込んだとおり、織田軍の部将として優れた働きをしていた。 人を見る目がある信長も三男のことを認めていた。
戦国大名の妾腹の子は、正室に嫡子ができれば他家や家臣の養子に出されたり、 捨扶持程度の待遇しか与えられなかった。 信長の四男以下はこのような待遇であった。 信長は、信孝だけには妾腹にもかかわらず、禄高こそ五万石ではあるが、 大名であり信長軍団の有力な部将としての処遇を与えていた。 そして本能寺の変直前には四国攻めの総大将に任じ、 四国平定後は讃岐一国を与える心積もりであった。
その残された唯一期待の信孝が、 足軽から大大名にまで取り立ててやったハゲネズミ秀吉の奸計にはまり惨殺されてしまった。
霊界の信長の胸中はいかばかりか。
「見てみろ光秀、 おまえが手を貸してくれないから信孝があんな酷い目に遭ったではないか」
「おれの知ったことか。 もとはといえばおまえさんが秀吉にたらしこまれたからではないか」
信長は返す言葉もない。
「秀吉は織田政権を完全に乗っ取った。 次に最強の敵徳川家康が控えておる。 やつなら家康をもやがて従えるだろう。 おれはそう見ている」
光秀は淡々と話す。 信長も軽くうなずく。
「秀吉は無類の女好きだ。 天下人となると側女も増えていくだろう。 秀吉には子種がない。 だから甥の秀次を養子にする。 そこでおれが考えたことだが、 家臣の誰かを最も気に入っている側女と密通させ、男子を産ませる。 当然秀吉は我が子と思い込む。 有頂天だ。 そうなると秀吉の後継と思い込んでいた秀次との確執が起こる。 やがて秀次は殺られる。 取り除かれる。 そして秀吉が最期は苦しみながら死んでゆく。 苦しみあえぎながら」
光秀は、どうだおれの考えは、と信長を見る。
「秀吉にその程度の苦しみでは物足りないなあ」
「まだその続きがある。 秀吉が死んだところでおれの霊力は弱ってくる。 だが、間もなく信孝が霊界へたどり着く。 信孝の秀吉への怨みはすさまじいはずだ。 あいつと力を合わせてあとのことを考えよう。」
「信孝を見限っていたくせに、今度は利用するのか」
「そのように受け取られても仕方がないな。 まさか秀吉が信雄をそそのかして、 信孝を切腹させるなどとは思いもつかなかったよ」
「先ほどの、あとの考えとやらを言ってみろ」
「それは信孝が来てからだ」
「またもったいぶるか」
それからの光秀 六
2020-05-07
それからの光秀 六
信孝が霊界に到着した。
姿形は光秀、信長と同じように薄青く、下半身は透明に近い。 顔立ちも生前と同じく端正で凛々しさも残っている。 兄弟の中で父親に一番よく似ていて、霊界へ来ると気をつけていないと見間違う。
「待ちかねたぞ、信孝」
光秀と信長が迎えた。
「ここへ来てさっそくだが、相談したいことがある」
光秀が切り出した。 最初に信長に話した秀吉をできるだけ苦しめながら、 死なせることを信孝にも話した。 それからその後の考えに入る。
「秀吉が死ねば密通の幼子が後嗣になるだろう。 だが、徳川家康が黙って見ているわけはない。 必ず天下を奪いにかかる。 ヤツが織田家から奪ったように」
信長と信孝は真剣な表情でうなずく。
「秀吉が霊界へ来ると家康の天下取りを阻み、我が子を守ろうとするだろう。 そこで信孝とおれが秀吉を妨害する。 そのときおれの霊力はかなり弱ってきている。 そこで信孝の霊力を借りたいわけだ」
ここまで黙って聞いていた信孝が初めて口を開いた。
「おれもここへ着いてから秀吉にどのように怨みを晴らしてやろうかと考えていた。 いま光秀の考えを聞いたが、おれは賛成だ。 生前の秀吉には光秀が怨みを晴らしてくれ。 霊界へ来たときはおれがやる」
光秀が予期したとおり、 小牧長久手の戦いを経て秀吉が自分の妹や母親を人質に出すなどの奇策を用いて家康を臣従させた。 その家康の協力も得て関東の北条氏を滅ぼし、奥羽の伊達氏、 九州の島津氏らを従わせ、天下統一を果たした。
関白から太政大臣となった秀吉は豊臣姓を名乗り、 その間に茶々(後の淀の方)を側室に迎えた。
茶々は信長の妹お市の娘で、父はお市の最初の嫁ぎ先、 信長が滅ぼした浅井長政である。
「いよいよお膳立てが揃った。 茶々の密通相手は石田三成に決めた。 あいつは秀吉の寵臣だからな。 信長よ、茶々はおまえの姪だが依存はないだろうな」
光秀は自分の出番とばかりに勢い込む。
「もちろんだ。 茶々には姪などという意識はない」
「おれも会ったこともないし、従妹などと思ったこともない」
信孝も光秀に同調する。
「これで決まった。 いよいよおれの霊力を発揮するか」
秀吉は十数人の側室を持ちながら、子には恵まれなかった。 もうできないとあきらめかけていた。
そこへ淀が妊娠し、男の子が生まれた。 秀吉五十四歳のときである。 世継ぎが生まれ、秀吉は上機嫌だった。 しかし、その子は三歳で死んでしまった。
「やはりダメか」と完全にあきらめた。
ところが翌年また男子が誕生した。 落胆していた秀吉の喜びはいうまでもない。
淀が産んだ二人の子はどちらも石田三成の子種である。 最初の子が死んだのは霊界からの光秀の仕業で、秀吉を弄ったのである。
寵臣三成の子とも知らず、秀吉はその子を秀頼と名づけ溺愛した。 ここですでに後継者に決めてあった秀次が邪魔になってきた。 秀吉は秀次を高野山へ追放し、切腹させた。 それだけにとどまらず秀次の妻妾、子女、腰元ら三十九人を京都市中に引き回し、 三条河原で惨殺した。 三条河原では二十間四方の堀をほり、鹿垣を張り、 三条橋の下に三間の塚を築き、秀次の首を西向きにすえた。 そして垣の内に引き入れた一同に秀次の首を拝ませ、 一人ひとり首を刎ねていった。
荒くれ兵たちが幼き秀次の子に襲いかかった。 それを見て覚悟を決めていた母親が泣き叫ぶ。
「お許しくださいまし、どうかお許しを」
兵は容赦なく幼な子を斬り捨て、泣き崩れる母親をも引き立てて頸を斬る。 見物にきていた群衆もこの地獄絵図を目の当たりにして恐れおののいた。
「ほう、甥の秀次だけでなく、女子どもまで殺ってしまったか。 おれもそこまでは考えてなかったよ。 残虐だなあ。まるで比叡山の信長だ」
霊界の光秀は地上の思わぬ成り行きに驚く。 他の二人も同じである。
「ヤツは放っておいても狂ってくるぞ。 このまましばらく様子を見るか」
「それがいい」
信長、信孝もうなずく。
「できるだけ霊力を温存しておけば、 秀吉がここへきたとき信孝と力をあわせることができるからな」
それからの光秀 七
2020-05-07
それからの光秀 七
豊臣秀吉は天下を掌握したが、その野望が尽きず無謀にも朝鮮半島に出兵した。
文禄元年(一五九二)の春、秀吉の出陣命令を受けた小西行長、加藤清正、 福島正則、黒田長政、小早川隆景、 毛利輝元ら三十の諸大名が合計で十五万八千余人の軍勢を従え、 肥前名護屋城へ集結したのち九軍編成で朝鮮に上陸した。
この大軍は、さしたる抵抗もなく、三つのルートに別れて京城に向かい、 五月三日には国都京城を占領した。
開戦一ヶ月あまりのことである。
日本軍はこの年の前半は快進撃であったが、 戦線があまりに広範囲になりすぎたのと、兵糧が乏しくなり、 そこへ朝鮮の民衆が日本軍に抗戦しはじめたため、困難な状況をていしてきた。 さらに七月九日、閑山島、安骨浦において、 秀吉軍の水軍が李舜臣率いる朝鮮水軍の亀甲船に大敗を喫し、 海峡の制海権を奪われ、補給路の確保すらできない状況となってしまった。
亀甲船は、名将李舜臣が日本軍との海戦を予期して特別につくらせたもので、 頑丈で攻撃力が高く、船ごと突っ込んで敵船を破壊できるようになっていた。 この船が日本軍船を次々に撃沈させたのである。
九月に入ると明からの救援軍が鴨緑江を渡って朝鮮に入り、戦線はさらに泥沼化し、 厳寒のもとでの進軍は困難を極めた。
翌文禄二年正月二十六日、碧蹄館の合戦で小早川隆景らの軍勢が、 ようやく明軍に一矢を報い、和議の動きが出てきた。
「ハゲネズミのバカが。 敵の水軍に手も足も出ない。 何の手立ても取れないではないか。 ちからもないくせに朝鮮征伐などと大それたことを考えるからだ」
霊界から朝鮮における合戦を見ていた信長が呟く。
「おまえなら、あんな無様な負け方をしないよな。 あの鉄船を現地でつくらせるなど、 思いも寄らぬ作戦で敵の軍団を全滅させるだろう」
光秀は揶揄するように言う。
「あたりまえだ。 だがな、ここでそんなことを言っていてもはじまらん」
「そうだろうけどな。 おれは天才戦略家の信長と、謀略と人たらしだけの秀吉とのちがいだと思うよ」
そこへ信孝が口をはさむ。
「おれは光秀が秀吉の一人目の子、鶴松を死なせたとき、その悲しみ、 落胆が強すぎたので、あのころから頭がおかしくなってきたのだと思う。 子を亡くしたときの親の悲しみは耐えがたいものだ。 二人目ができたからといって、そうたやすく癒されるものではない」
「信孝、おまえらしく繊細な見方だな。 そうだとするとおれは霊力を温存しながら、思わぬ成果を上げていることになるな」
和議の条件として秀吉は「明帝の女を迎えて日本の后妃に備えさせる」 「朝鮮の王子および大臣一両名を人質とする」などの七ヶ条を出した。
しかし、講和交渉の全権を委任された小西行長らの交渉は行き詰まり、 いたずらに時は流れていった。
慶長元年(一五九六)九月二日、 大阪城で秀吉に謁見した明の正使は 「特に爾を封じて日本国王と為す」という明皇帝の勅文を示しただけで、 七ヶ条の要求には何もふれなかった。 怒った秀吉は正使を追い返してしまった。 翌慶長二年二月、秀吉はまたも諸大名に朝鮮出兵の命令を出した。 文禄の出兵と同等の規模である。
この第二次派兵の中で最も主要な戦いは、蔚山城の攻防である。 加藤清正、浅野幸長らが蔚山城を占拠したが、明の大軍に包囲され、 兵糧と水を絶たれ、しかも十二月の厳寒の中、厳しい戦いを強いられていた。
年が明けて正月の四日、毛利輝元らの救援隊が到着し、 清正らはやっと窮地を脱することができた。
その後、この戦いは一進一退の状態が続き、 これという目立った展開も見られないまま月日だけが経過していった。
「それ見ろ、思ったとおり泥沼化していった。 言わんことはない」
朝鮮での攻防を見ながら信長が歯痒がる。
「見てはおれないようだな。 おれは楽しく見物させてもらってるよ。 けど、このままだと朝鮮出兵は味方にも、敵にも大勢の犠牲者を出しただけで、 何の意味もない」
「光秀の言うとおりだ。 朝鮮出兵はハナから間違っていたのだ。 やはり秀吉は頭がおかしくなっている」
信孝が自身の言葉に確信を持つようにうなずく。
「光秀、そろそろヤツに引導を渡してやってくれ。 でないと兵たちがかわいそうだ。 もうこれ以上死人を出すのを見たくはない」
「信孝がそう言うのなら、ぼつぼつ始めるか。 霊力を温存しておきたいが、しょうがないなあ」
「ただし、思い切り苦しませてくれよ。 俺の怨みも晴らしてくれ」
「わかっている。言うまでもないぞ」
それからの光秀 八
2020-05-07
それからの光秀 八
戦いが泥沼化し膠着状態が続いていたころ、秀吉が重病に陥った。
秀吉は、慶長三年三月十五日、みずから派遣した将兵が、 朝鮮の地で苦戦を強いられているのをよそに、醍醐寺で盛大な花見の宴を催した。
この日は空が晴れわたり、風もなく、絶好の花見日よりだった。 正室の北政所、淀の方ほか数名の側室を従え、茶屋も一番から八番まで建てられ、 ものものしい警戒態勢のもとで、秀吉にとっては最後の豪遊であった。
だが、このとき秀吉はすでに咳気をわずらい、身体も痩せ細っていた。 せっかくの豪華な花見も周囲が気を使いながらの宴であった。
いよいよ光秀が霊力を行使しはじめた。
五月五日の昼前のこと、秀吉は大阪城中の奥の間で淀とひと時をすごしていると、 突然咳の発作が起こり、血を吐きながら倒れた。
これまでも咳が止まらぬときがたびたびあり、神経痛気味でもあって、 朝鮮侵略の基地である名護屋城へも行けない状態であった。 それがついに病の床についた。
その後、咳が激しくなるだけでなく、身体中に薄赤い湿疹ができた。 痒いのが我慢できないのか、強く掻くものだからところどころに血がにじんでくる。
七月に入ると祈祷師を呼んで護摩を焚くが、一向に効きめがなく、 その翌日には一時人事不省の危篤状態になった。 祈祷の効果が現れないのも、人事不省も霊界からの光秀の仕業である。
平癒の祈祷も薬師(医師)の治療も効きめがなく、ついに寝たきりの状態となり、 失禁をするようになる。 それは最初、小だけであったが、大のほうもやるようになっていった。
一度意識を失った秀吉は、 死の恐怖におびえながらもまだ幼い「嫡男」秀頼の行く末ばかりが気がかりだった。 七月十五日に五大老(徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝)を呼び寄せ、 秀吉の死後は秀頼に従うという旨の、血判を捺した起請文を提出させた。 十一日には枕元で 「徳川殿、秀頼のことよろしく頼む。 くれぐれも・・・、ほかに思い残すことはない」 と五大老筆頭の家康の手を握り、涙を流しながら訴える。
「承知いたしてござる。 ご安心召され」
家康は痩せて皺だらけの手を握りながら、 満面の笑みをたたえ秀吉の耳元で囁いた。 そのすぐあと家康はうつむいて手で隠しながら顔をしかめた。
五大老と対面の直前、奥女中たちは秀吉が粗相した大小便の始末をし、 身体を清め大急ぎで寝具と寝巻きを取り替えたのだが、 それでも異臭が残っていたのである。 その七日後、秀吉は今までで一番激しい咳の発作に襲われ、その胸を掻き毟り、 悶え苦しみながら息をひきとった。
朝鮮では、秀吉の喪を秘したまま、五大老の名で停戦工作がおこなわれ、 十一月二十日になってようやく島津義弘軍を最後に、日本軍は完全に撤退した。
それからの光秀 九 (了)
2020-05-07
それからの光秀 九 (了)
光秀は「終わった」と呟き、かすかにため息をついた。
「まだ終わってないぞ光秀。 もう霊力を使い果たしたのか」
信孝が心配げに問いかける。
「いや、まだ少しは残っているようだ。 おれは信長と違って温存しながら使ったからな」
「そうだ、おれは光秀に対する怨みのみで霊力を使い切ってしまった。 毛利への使者、細川藤孝、筒井順慶、それに朝廷の公家どもに。 それに比べておまえは石田の小ワッパを操ったのとハゲネズミを重病で苦しめただけだからな。 おれと違って楽しく使っていた。 充分余力があるはずだ」
「そうか、おやじの言うとおりなら、おれも心強い。 だが、もっとあのネズミを苦しめてほしかったなあ」
「信孝よ、ぜいたくを言うな。秀吉は悶え苦しみ、糞まみれで死んだのだぞ。 それで充分だ。 それよりもこれからのほうが大事だ。 三人で作戦を練ろう」
三人は互いに向き合いながら話し合った。
「秀吉は先ず豊臣から天下を奪おうとする家康の妨害にかかるだろう。 信孝がそれを阻止する。 秀吉と信孝の霊力は五分と五分だ。 どちらが勝つかわからない。 そこでおれが残っている霊力で信孝に加勢する。 信長は霊力を持ってないが、ヤツに対する牽制にはなるだろう」
「それでよい。 家康が天下を取れば地上も落ち着くだろう。 それにしてもハゲネズミのバカは、家康に後事を託するとは。 己も織田家から天下を奪っておきながら」
光秀の策に信長、信孝も異論は無い。
「ところで、秀頼が三成の子であることをいつばらすのだ」と信孝が聞く。
「そいつはおれに任せてもらおう。 最も効果的にやるよ」
作戦会議は簡単に終わった。
「ここに来てからずっと考えていたのだが、 おやじと一緒に死んだ信忠兄はどうしたのだ。 それにおれと同じ時期に死んだ柴田勝家も」
「それはおれから話そう。 信忠も光秀に怨みはあったが、おれが晴らすからと、すぐ黄泉へ送った。 勝家のことは知らないが、多分お市と一緒に死ねたので、 怨みも持たずに黄泉へ行ったのだろう」
父の言に信孝は、よくわかったというようにうなずく。
「ぼつぼつ太閤殿下のご到着だ。 丁重にお迎えしよう」
光秀は皮肉たっぷりに言った。
秀吉が霊界に来た。 三人の姿を見てもさして驚いた様子はない。 すでに霊団長から仔細を聞いているからであろう。 三人が待ちかねていることも。
「待ったいたぞ、筑前、いや秀吉。 よくも地上では酷い目に会わせてくれたな」
「おいおい、ここは地上の怨みごとを吐くところではないぞ。 おれたちの目的を果たせばそれでいいのだ。 あくまでも目的をな」
感情を露わにする信孝を光秀が軽くなだめる。
秀吉はそんな二人を見て訝しげに首を傾ける。 光秀の言を理解できないようである。
「秀吉、おまえがこの霊界へ来た目的は、 家康が豊臣から天下を奪わないかを監視し、 奪おうとしたらそれを妨害したいのだろう」
ここで秀吉が初めて口を開いた。
「光秀の言うとおりだ。 家康はおれに約束した。 秀頼を守ると。 だが、心配だからおれはここから見張ろうと思っている」
「秀吉、どうしてそんなに秀頼を守ろうとするのだ」
「知れたこと。 おれのかわいい嫡子だからだ」
光秀は鼻先で笑う。
「おまえはまだ秀頼が自分の子だと思い込んでいるのか。 あれは石田三成と茶々との不義密通の末に生まれた子だ」
「なんと・・・。そんなバカなことを。 でたらめもほどほどにしろ」
「でたらめかどうか。 自分で確かめてみるのだな。 念ずればその光景が浮かんでくるはずだ」
信長と信孝が、そのとおりとうなずく。
秀吉が瞑目する。 それがしばらく続いた。 やがて苦悶の表情で目を開いた。
「考えられん。 おれがあれほど目をかけてやった三成が裏切っていたとは。 許せん」
「三成に霊力を使って怨みを晴らしたいか。 そうすれば家康をどうする。 すでにヤツは天下を狙って動き出したぞ。 三成がその野望を阻止しようと必死になっている。 当然だ。 自分の子を守るためだからな」
「なぜ三成が茶々と。 どうしても解せん」
「それはな、おれが霊界から二人を操ったのさ。 こんなにうまくいくとは思わなかった。 何十人という側女を置きながら一人も子が生まれなかったのに、 おまえは疑いもせず有頂天で喜んでいた。」
秀吉はゆがんだ表情で光秀をにらむ。
「そうか、天王山でおれに敗れた腹いせか。 酷いことをするものだ。 霊界からそんなこともできるのか」
「酷いのはおまえのほうだろうが。 おれが苦心の末にほぼ治めた天下を乗っ取ったではないか。 その上、信孝を死に追いやった。 おまえこそ最悪の不忠者だ」
今まで黙って聞いていた信長が、ここぞとばかり光秀に加勢する。 対して秀吉は一言も返せない。
「いよいよ豊臣方と徳川方が関が原でぶつかるぞ。 西軍豊臣方は毛利輝元を総大将に仕立てているが、実質は石田三成だ。 東軍の家康とはかなり格が落ちる」
信孝がうれしそうに告げる。
「家康は、あんなに固く約束したのに」
「秀吉、まだそんなことを言っているのか。 己のやったことを思い出してみろ。 それに秀頼はおまえの子ではない、 おれなんか実子信孝をおまえに殺されているのだ」
「先ほどからおれが信孝を殺したように言うが、 あれは信雄が切腹するよう命じたのだ。 おれは関係がない」
「そんなごまかしがここで通用すると思っているのか。 おまえが信雄をそそのかしたことは、すべてお見通しだ」
またも秀吉が言い返せないでいる。 信長に対し後ろめたさがあるのか、 地上での主従関係が若干残っているように見える。
「秀吉よう、家康がおまえに約束したとき、にこやかに手を握っていたが、 腹の中で《いよいよわしの出番がやってきた》とほくそ笑んでいたのだ。 おれは家康のことは長く同盟を組んでいたからよく知っている。 目の前に天下がぶら下がっているのに、ヤツが秀頼なんかを守るはずがない」
秀吉はグーの音も出ない。
「合戦がはじまるぞ。 けど、おかしいなあ。 西軍に付くはずの福島正則や浅野幸長らが東軍に付いているぞ」
信孝が言うのは、福島正則、浅野幸長も秀吉子飼いの武将である。 ほかに細川忠興、山内一豊、池田輝政ら豊臣恩顧の大名も続々と東軍徳川家康方に付いた。
これは石田三成に人望がなかったのと、 家康の恫喝と巧みな懐柔策によるもので、 福島正則などは家康の術中にまんまとはまり 「家康公は豊臣家を救ってくれる」と本気で信じたほどである。
「市のバカが、家康が天下を取れば真っ先につぶされることも知らずに」 と秀吉が嘆く。 市とは福島正則の幼名市松を指している。
「ふん、信雄がたぶらかされたときのおれと同じことを言ってやがる」 と信長が嘲る。
「おい、秀吉、合戦がはじまったではないか。 どうするのだ。 秀頼がおまえの子でないことがわかっても、家康の天下取りを妨害する気か。 そうするとおれと信孝の霊力を使って邪魔をするぞ」
それまで意気消沈していた秀吉が気を取り直した。
「おれも苦労して天下をものにしたのだ。 家康なんぞにむざむざとくれてやるわけにはいかん」
「そうか、おもしろい。 ここでおまえと対決できるとは思ってもみなかった。 信孝、やるぞ」
関が原では東軍が十万四千、西軍八万二千で対峙した。 西軍は軍勢の数ではやや劣るものの、笹尾山、天満山、松尾山、 雨宮山に東軍を包囲する形の有利な陣を敷いた。 しかし、西軍総大将格の石田三成は自軍の諸大名を掌握しきれず、 この戦いに消極的な者、さらに家康に内通する者もいて総体的にまとめを欠いていた。
それでも午前中は西軍が激戦の中で優位に戦っていた。 ところが正午過ぎ、松尾山の小早川秀秋が東軍に寝返り、 形勢は逆転の様相が見えはじめた。
それを見て取った秀吉が瞑目し、その手を胸に持ってきて拝むような体形をとった。 続いて光秀、信孝も秀吉の目前に来て同じことをする。
関が原では小早川軍に続いて、 家康の内応策により模様眺めをしていた脇坂安治らの西軍四隊も東軍に寝返った。 小早川軍に加えてこの四隊の予期せぬ裏切りにより西軍は総崩れとなった。
秀吉は挽回させようと懸命に念じる。 そうはさせじと対する二人も気を集中させる。 それを信長が見守る。
二つ対一つの霊による静かだが激しい対決が続く。
「負けた。 二対一ではとうてい無理だ」
秀吉は完全にあきらめ、ゆっくりと両眼を開いた。 光秀、信孝も態勢を解く。
「おうおう、西軍は壊滅だ。 三成がわずかな供と敗走しているぞ」
信孝が歓喜の声を上げると「よくやった」と信長が次男をねぎらう。
「これで天下は家康が握る。 ヤツならうまく治めていくだろう。 光秀も得心したか。 もっとも不満があっても、もう地上を操ることができないからなあ」
「信長の言うとおりさ。 これからは徳川家の時代が長く続くかも知れない」
霊界での〝闘い〟は終わった。
「もうすぐ霊団長が来て、我々を黄泉の入り口まで案内してくれる。 みんな地上への思いを断って一緒に行こう。 煩悩のない世界に」
霊界で「最古参」の信長が言うと、他の三人は軽くうなずいた。 秀吉も思い残すことはないようである。
やがて静かに霊団長が現れた。
(了)
【参考文献】
「明智光秀」(高柳光寿・吉川弘文館)
「青史端紅」(高柳光寿・朝日新聞社)
「豊臣秀吉」(小和田哲男・中央公論社)
「英傑の日本史 信長・秀吉・家康編」(井沢元彦・角川書店)