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和歌山高齢者生活共同組合

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酒呑童子始末 作者:堂本育司 ホームページでのみ、公開中

酒呑童子始末 -1-

2020-05-07

酒呑童子始末 -1-


渡辺綱が三人の郎党を従え、摂津淀川河口の渡辺の地から都へと向けて駒を駆っていた。 主の源頼光から火急の呼び出しがあったからである。 綱は長身ではあるが、武者としては華奢な体つきに見え、 殿上人のような顔立ちである。 しかし膂力は抜きん出ていて力くらべをしても滅多に負けたことはない。 剣の腕前も頼光を凌ぎ、都ではかなうものはないといわれている。 駒の手綱さばきも見事で軽やかに走らせている。
 一条の頼光邸へ着いたときは既に日は陰っていた。 近くの松林からそよいでくる涼風は秋の到来を告げている。

「兄者、よく来られた、待ちかねたぞ」

 坂田金時が出迎えた。足柄山の金太郎である。背丈は 綱とさして変わらないが、横幅は二倍もあろうかと思える巨漢である。 齢三十に達しているが、童顔でまだ金太郎時代の面影が残っていた。
 金時は頼光から近くに屋敷を与えられていて、主の呼び出しには直ちに参上し、綱の到着を待ちわびていたのである。
 綱と金時は容貌も体躯も性分も対照的で、そのうえ年格好も一回り離れているのになぜかうまが合う。

「おう金太郎、そなたにもお呼び出しがあったのか。火急の用件とはいったい何事ぞ」

「うん、わしにもわからぬ。わしは兄者と一緒なら何処へでも行くぞ」

 山姥に育てられたという金時はいまだに訛りがとれず、ぶっきらぼうである。 頼光はそれを嫌って何度も叱るが一向に効き目がない。 綱はそんな金時が好きであった。 碓井定光、卜部季武も既に馳せ参じており、綱の到着で四天王が勢揃いした。 四人は頼光に向かい恭しく両手をつかえた。

「こたびそのほうらを呼んだのは、 既に知ってのとおり藤原家の若が左のおとどに任ぜられた。 大いにめでたいことである。 そこで若はその報告とご家門の繁栄を祈願するため熊野三山へ詣でることと相成った。 わしはそのお供を仰せつかった。これ以上の名誉はない」

 頼光は胸を張って下知する。
 長徳二年(九九六年)藤原道長は三十歳で左大臣に任ぜられた。 現在の官職と単純に比較できないが、総理大臣に当たろうか。 道長の代になって、藤原家は栄華を極めていくことになる。
 頼光はこのとき四十八歳で綱より五歳上。 頭には白いものが何本か混ざっているがまだまだ意気盛んである。 清和源氏の嫡流で藤原家には道長の父で関白にまで昇った兼家の代から仕えている。 藤原武者団の最右翼である。 頼光は道長の幼少のころ、その守役を命じられたことがあり、 今も若と呼べるのであった。 この若の聡明さに早くから着目し、贈り物を絶やしたことがない。

「わしは武家の棟梁としてご一行が無事に帰京するようなんとしても、 お役目を果たさねばならん。 そこでじゃ、当家より精鋭百騎をもってお守りしたいと思っておる。 頼光の四天王と謳われておるそのほうらも、存分の働きをみせるのじゃ」

「ははーっ」

 四人は再度平伏した。 下知した頼光は満足げであった。 百騎は四隊に分け、四人がそれぞれ指揮することになった。 四天王といってもいざとなると、綱と金時、定光と季武とにいつも別れた。
 渡辺綱は源綱とも呼ばれ、 嵯峨源氏の出で若き日に摂津渡辺党を率いて近江伊吹山の山賊を退治するなど、 既に都ではその名をよく知られている。 その山賊退治の後彼は父の源宛のすすめに従い、頼光に仕えたのであった。

「みなのもの、こたびは大儀である」

 牛車の簾の中から道長が伴の者一行にねぎらいの言葉をかけた。 道長の満足げな様子が窺える。

「頼光、そちと四天王が揃えば道中で山賊どもや狼に出くわしても、 あやつらの方から恐れをなして退散するであろう」

「ははーっ、一同心してお供つかまつりまする」

 一行は道長邸である土御門京極殿を夜明け時に熊野路へ向けて出立した。

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酒呑童子始末 -2-

2020-05-07

酒呑童子始末 -2-


 当時京都から熊野本宮に至る道筋は、淀川に沿って天王寺へ出て、 住吉を大阪湾沿いに南下し、紀ノ川を渡って紀伊路に入り、 藤代峠を越えて海岸沿いに田辺に至る。 さらに中辺路の山道に入り、滝尻から近露を経て本宮に至った。
 道長とその警護を受け持つ百人の武者団の一行は、 平穏な道中を続けていたが、中辺路へ入ると急峻な道が続き供回りの骨を折らせた。 秋に差し掛かっていて休息をとるときなどは時折山中の心地よい涼風に当たるが、 歩を進めると汗が滴り落ちてくる。
一行は本宮大社で所定の祈願を済ませ、新宮へと向かう。 新宮の宿所で綱と金時が長旅で疲れた身体を休ませていると、 綱の郎党が駆け込んできた。

「潮岬の漁師だと申すもの三名が、火急の用件にて御大将に御目通りを願い出てございます」

「どれ、先ずわしと金時でそのものらに会うといたそう」

郎党の案内で三人の漁師が入ってきた。 一人は長老らしくかなりの年配で落ち着いた態度である。 あとの二人は四十前後に見えた。 秋も半ばに入っているのに三人は褌の上に丈の短い擦り切れた浴衣のようなものを身に着けているだけである。 彼らは緊張しきっていた。
 長老は寛十、あとの二人は弥太と小六と名乗った。

「あなた様方のようなお偉いおかたに御目どおりできて、 もったいないことでございます。また長旅でお疲れのところ、 恐れ多いことでございますが、どうか私めらのお願いをお聞きくださいまし」

 寛十はまるで口上を述べているようである。 何回も練習を重ねてきたのであろう。 落ち着いたように見える中にもどこか切迫した様子が、綱には見てとれた。

「してそのほうらの願いごととはなんじゃ、遠慮なく申してみい」

 言いあぐねているのを見かねて綱が先を促した。 渡辺綱と坂田金時の名声はこの地方にまでは行き渡っていない。 寛十らは武者らしく見えない綱よりも金時の方が頼もしく見えるのか、 彼の方ばかり目を向ける。

「この御仁はなあ、渡辺綱殿というて、こう見えても山賊退治の名人じゃ。 都ではその名を知らぬ者はおらぬよ。 伊吹山中では五人の荒くれ山賊どもを、あっという間に叩き切ったんだぞ」

 金時は自慢げに綱の武勇伝を披露する。
「いやいや、この坂田金時殿こそ都でいちばんの力持ちでのう、 わしも腕力にはよほど自信があったが、この仁にはかなわなんだ。 そのほうらが頼りに思うのも無理のないことじゃて」 と言いつつ綱は右の片肌を脱いで見せた。 その肩から二の腕にかけて鍛え上げた隆々とした筋肉である。 胸の厚さも垣間見える。 着物の上からではとても想像がつかない。 寛十らは目を丸くして見入っていたが、 自分たちの心得違いに初めて気づき、へへーっと平伏した。
漁師たちの話すところによると、一ヶ月ほど前に潮岬に十人の鬼が出現し、 村中を荒らし回っているという。 いずれも身の丈は六尺を優に超し、頭部には二本の角を生やし、 全身総毛に覆われている。 漁師らの食料を奪い、村の娘を五人も拐かしていった。 人肉を喰らいその生き血をも飲むところを見た者がいるという。

「弥太と小六の娘もその中に入っておりますのじゃ。 ほいで今にも食われてしまわんかと、 心配で心配でめしも喉を通らぬというておりまする」

「その娘御らはまだ無事でいるのか」

「へい、鬼どもの世話をさせられているようでございます。 でもどんな酷い目にあわされていることやら」

 今まで黙ってうつむいていた小六が、綱の問いに初めて口を開いた。 弥太ともどもやつれた様子が窺われる。

「仔細は大筋で理解いたした。して我らにその鬼どもを退治せよと申すのか」

「へい、どうかお助けを。 ご一行様は都からはるばるご参詣にお出でて、お疲れのところ、 また縁もゆかりもない私めらの願い事をお聞き届けていただくのは誠に恐れ多いことにござりまする」

 三人は土間に額を擦り付け、平伏している。 見かねた金時が頭を上げるよう諭す。

「頼光さまは都で名高い源氏の御大将とお聞きしております。 また、渡辺綱さまと坂田金時さまも並はずれたお強いお武家さまとただいまうけたまわりました。 ぜひにも恐ろしい鬼どもを退治していただきとうございます。」

 寛十が喉を引き絞るようにして懇願する。
 金時は先ほどから気がはやっている様子である。 綱の方に盛んに目を遣る。

「その鬼と見受けられる奴ばらは身の丈六尺豊かと聞いたが、 このわしも金時も六尺近くある。 わしらと比べてどんなものじゃ」

 寛十は小六に囁く。

「おまえ、娘がさらわれたときに見たというたじゃろ、 渡辺さまに説明してさしあげんか」

 平伏していた小六が頭を少し上げ、恐る恐る説明する。

「お二方よりもかなり大きいように思います。 あのような大きな人間は見たことはございませぬ。 いや、あれは人間ではない」

 小六は恐ろしげに身震いをする。

「もう一つ、奴らの手にする武器はどのようなものじゃ」

「へえ、大きな剣のようなものを持っていました。 いえ、お武家さまのよりも長うて分厚いようでした。 鬼はその剣を振り回しておりました」

「鬼どもはみんな剣を持っておったのか」

「いいえ、おっそろしゅうて、はっきりとはわかりませなんだが、 剣を持っているものも太い鉄棒のようなものを持っているのもおりました」

 綱はしばし腕組みをして目を閉じた。

「兄者、わしは捨て置けぬぞ。このものらの願い、聞いてやろう。 一緒に鬼退治に行こうよ」

「わしもそうしたい。 しかし御大将と左のおとどのお許しがなければのう」

 武家の作法など気にしない金時は、 焦れて今にも一人で鬼退治に飛び出しそうである。

「どの道我ら二人のみでは鬼どもにはとうていかなうまい。 伊吹の山賊のようにはいくまいぞ。 金太郎、御大将のもとへ参るぞ。 そなたらはここでしばし待たれよ」

 頼光の寝所へ通された二人は漁師から聞いた話を手短に伝え、下知を仰いだ。

「鬼なんてものは、言い伝えには聞くが、わしはまだこの目で見たことはない。 綱、そちはどう思うか」

 この時代、鬼は存在するものと考えられていた。 都大路の入り口には羅生門が建立されていたほどである。
 時の帝が陰陽師に命じてこの門に符呪を貼らせ、 鬼や物の怪の侵入を防いだという。
 だが、頼光は漁師の話しだけで信じようとしないのは、さすがといえる。 彼は四天王の筆頭と認める綱に意見を求めた。

「はあっ、それがしもこの世に鬼が存在するとは断定いたしかねまする。 されど、あの漁師らが満更偽りを申しているようには思えませぬが」

 すると綱を立てて控えていた金時が初めて口を開いた。

「漁師らは我らを都から来た強い武家だと信じている。 鬼であろうが化物であろうが、我ら四天王にかなうものは居るまい。 御大将、早うあやつらを退治に参ろうぞ」

「金時の申すとおりでござる。 いざ出陣の下知を発してくだされ」

 綱も金時の後押しをする。

「そのほうらの心構えはようわかった。 だが大事なことゆえこれからおとどのお許しを得ることにする。 しばし待っておれ」



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酒呑童子始末 -3-

2020-05-07

酒呑童子始末 -3-


 頼光とその四天王、それに加えて二十五騎が 新宮から紀伊の国の最南端である串本の潮岬に向かっている。
 十里(約四十キロ)の道程である。
 一行は太刀に薙刀、それに弓矢と充分な武器を携えていた。
 綱は頼光が初めこの「鬼退治」にはあまり乗り気ではなかったことを知っている。 漁師の訴えに応じてやったところで、 戦うとなるとかなりの出費となり犠牲も少なくなかろう。 ともかく熊野詣を何事もなく早く終えたい、これが主の本心であった。
 しかし、報告を受けた道長が 「熊野の何よりのみやげ話しになろう」と大いに心を動かせた。 こうなると頼光も道長に従うしかない。
 潮岬にはその日の夕刻に到着した。 寛十ら三名は既に前日に戻っていて大勢の漁師と共に丁重に出迎えた。
 一行は長老である寛十の屋敷へ宿泊することとなった。 新宮まで訴えに来たときはみすぼらしい身なりであったが、 以外に広いたたずまいである。
 鬼どもは昨夜も漁師らが水揚げした獲物をごっそりと奪っていったという。
 頼光は今夜は身体を休め、明日二名の郎党と土地の漁師に鬼の様子を見に行かせ、 その結果で作戦を立て、明後日早朝に岬を襲うことにした。

「食料を奪われたのは気の毒ではあるが、 今日明日には鬼どもも襲ってこないであろう。 その間に十分な作戦を立てられよう」

 頼光は綱に向かって同意を促すように言った。

「はっ、まことに」

 綱も同じ考えであった。彼は日頃から摂関家に接近し、 勢力の増強を図ろうとする頼光には疑問を抱きながらも、 いざ戦いとなると有能な司令官振りを発揮する主を認めてきた。 二人は過去に何度も都を荒らす凶悪な盗賊を退治し、 源氏武者の名を高めてきたのである。
 翌日物見の二名が戻ってくると、頼光と四天王で作戦会議を持った。
 物見の報告によると、鬼どもは漁師の話しのように、 渡辺殿や坂田殿よりもはるかに大きい。 二本の角を生やした恐ろしげなのもいたが、角のない痩身の精のないのもいた。 娘らの姿も時折見えたが、意外に悲しんでいる様子ではなかった。 海岸に船らしき物が繋いであった。 その船は舳先が龍の頭のようで、中心に太い帆柱が立っていたという。

「そんなところに奇妙な船が。はて、解せぬことよ」

 頼光は腕組みをして考え込む。

「鬼は大きな太刀を振り回していたという。 船の中にはどんな武器を隠し持っているかも知れませぬな」

 卜部季武がやや不安げな表情をする。

「怯むのではない。 我らも武器は十分に備えてある。 決して遅れは摂らぬぞ」

 頼光は季武を睨みつけた。 己に対する気の引き締めもあろう。

「御大将の作戦どおり明朝鬼どもをやっつけよう。 なあに、負けるもんか」

 金時は逸る気持ちを抑えられないようである。

「金時、そちよりも大きな相手ばかりだぞ。 こんなことは初めてであろう」

「おまかせくだされ、力では誰にも負けはせぬ」

 金時が頼光の前で両腕を上げて二の腕に凄い力瘤を出した。

「その意気、その意気」

 綱が大声で冷やかしたので、一同がドッと笑う。

「これでよし、わしもそのほうらも緊張が続いたが、 これでいつもの都の賊退治と同じ心意気になれた。 みなのもの、明朝は頼んだぞ」

 おーっ、と四天王は拳を突き上げて呼応した。



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酒呑童子始末 -4-

2020-05-07

酒呑童子始末 -4-


 翌日の未明、頼光を先頭に三十人の源氏武者らは音もなく潮岬の鬼の棲家へと向かった。 岩場の洞穴に三人が、すぐ近くの洞に二人が眠っていた。 襲撃を受けるなどと思いもしないのか、熟睡しているようである。
 洞穴の中は暗く、はっきりとは見えないが、 身体は横たわっていても並外れた巨体であることは判明できる。
 顎鬚も顔中覆っているが、角までは確認できない。
 確かに図体は大きい、しかし、こやつらは本当に鬼であろうか、 と綱の心中に疑問が湧いた。

「かかれっ」

 綱が逡巡する間もなく頼光の号令が飛んだ。 武者らは喚声を上げ、抜刀しながら一斉に二つの洞を襲った。
 五人対三十人、しかも睡眠中に襲われ、鬼どもはひとたまりもない。 瞬く間に串刺しにされ、あっけなく絶命した。

「ようし、次は船を襲え」

 勢いに乗って頼光が叫び、手勢が続く。
 そのとき、外の騒ぎに気づいたのか五人の鬼が船から飛び出してきた。
 おりしも浜は薄明るくなり、鬼の姿がはっきりと写し出されてきた。
 髪は赤茶色で顎鬚も同じである。 身体には鹿の毛皮のようなものをまとっている。 はみ出した腕や足も恐ろしく毛深い。 しかし、いずれも角は生やしていない。
 綱は確信した。

「御大将、こやつらは鬼ではない。 殺さずに生け捕りにして吟味しましょうぞ。 さすれば正体も判明いたすでござろう」

「たわけ、こやつらはまさしく鬼じゃ、大将首を取って都へのみやげといたす。 若もお喜びになるぞ」

 頼光は興奮のあまり聞く耳を持たない。
 洞穴の仲間に異変が生じたことに気づいたのか、 大将らしき鬼の怒りの形相がすさまじく、 大刀を構えわけのわからぬ言葉を大声で発している。

「それ見よ、やつらは人間の言葉を話していないではないか」

 確かに通じない言葉ばかりで喚いているが、あれはまぎれもなく人間の声であって、 鬼や物の怪のものではない。 が、頼光は彼らを鬼ときめこんでいる。 どうしても首を持ち帰りたいと望んでいるようだ。
 なぜだ、何か魂胆があるのか。 あるとすればおとどへの追従以外にない。 そうまでしてわが身の立身と一族の繁栄をはかりたいのか。 綱はやるせない思いだった。

「おーい、鬼のおかしら、わしと力くらべじゃ、こっちへ来い」

 五人の鬼が武者団に包囲され、睨み合いが続いていたが、 痺れを切らした金時が大将らしき鬼に力くらべを挑んだのである。

「よせ、金時」

 綱が制したが、金時は案ずるなとばかり大将鬼に近づき、 身振り手振りで我が意を伝えようとしている。
 大将鬼は最初訝っていたが、金時の純心さを信じたのか、 大刀を仲間に預け丸腰で近づいてきた。
 金時はもろ肌を脱いだ。 部厚い胸に丸太ん棒のような腕っ節である。 二人は対峙した。 しばし睨み合った後、がっぷりと四つに組んだ。 相撲というよりも組み打ちのようである。 体格差は大人と子どもに近い。 恐らく金時は自分より大きい相手と勝ち負けを争うのは初めてのことであろう。 鬼は何度も金時を放り投げようとするが、根が生えたように動かない。 金時はといえば顔中、身体中真っ赤にして汗だらけである。 彼も力を振り絞って鬼の巨体を倒そうとするが、びくともしない。
 長く拮抗した状態が続いた後、鬼が大きな唸り声を上げたかと思うと、 金時を投げ飛ばしたのである。 勢いあまって鬼も半転して砂地に転がった。
 あの熊をも投げ飛ばしたという足柄山の金太郎も鬼には通じなかったのか。
そのとき、碓井定光が薙刀で大将鬼を襲ったが、鬼は大きな図体にもかかわらず、 素早い動きで大刀を取り薙刀を受け止めそれを払った。 薙刀は定光の手を離れ、砂浜に突き刺さった。 恐れをなした定光は包囲する武者団の方へ逃れた。

「者ども、弓を構えよ」

  頼光の号令に十人の武者が円陣を組んで弓を構えた。 なんと、剣を交えずに弓矢を射ようというのか。
 綱は思いもかけぬ頼光の命に驚いた。 作戦では剣で相手を倒そうということであった。

「御大將、お待ちくだされ」

「えーいっ、そちは邪魔だていたす気か」

「いや、決してそのような。 それがしにあの鬼のかしらと、この太刀にて勝負させていただきとうござる」

 綱は胸を張って進言した。

「なに、その太刀にてと申すか」

 綱の所持する太刀とは、 その昔藤原秀郷(俵藤太)が平将門の首を打ち落としたときの名刀であるといわれ、 父の源宛が秀郷より拝領したものであるという。 その由来は頼光もよく知っていた。 彼は武名の誉れ高い秀郷を敬愛しており、内心この名刀を欲しかったが、 口には出せずにいたのである。

「是非もない、その名刀でもって見事あの大鬼を倒してみよ」

「はーっ」

 頼光は苦々しい思いで命じた。 弓矢にて一刻も早く決着をつけたかったが、綱から、この太刀で、 と言われると無視できなかったのである。

「兄者、心してかかられよ」

 金時が心配そうに声をかけた。 自身がいま闘いを交えたばかりだから、いかに難敵であるかよくわかっている。

「案ずるな、金時、必ず倒してみせる」

 綱は無言のまま大将鬼に近づきゆっくりと腰の名刀を抜くと、 正眼よりやや下段に構えた。 寸分の隙もない。
 鬼は綱の太刀よりも幅が二倍はあろうかと思える分厚い大刀を、 威圧するように八双の構えで対峙したが、 綱の並はずれた腕前を察知したのか目つきが変わってきた。 双方は睨み合ったまま動かない。 綱は大きな相手に対したときの定石である足を狙っている。 下目に構えているのはそのためである。 いままでは闘う相手が小さかったので自身が足を狙われる方であった。
 鬼は隙がありそうで隙がない。 先ほど定光の薙刀を払った腕は相当なものだ。 定光も四天王の一人だけにその武勇は都で知れ渡っているのである。
 睨み合いはなおも続いている。 武者団の包囲の中から卜部季武が弓を構えている。 鬼がそれを横目見た。 その隙を一瞬捉えた綱は、裂帛の気合いとともに鬼の両足を払った。 鬼は軽く飛び上がってそれをかわした。 巨体であるのにかなりの敏捷さである。 空を切った綱はやや体制を崩した。 そこへ鬼の大刀が綱に襲いかかった。 綱は太刀で受け止める。 鋭い金属音を発して綱の刀は手元から飛び離れた。 すかさず鬼が大刀を振りかぶった。 あわや、と思われたとき、鬼の右肩に矢が突き刺さった。 季武の放った矢である。 思わぬ不意打ちに鬼は刀を落とし左腕で矢を引き抜き、憤怒の表情で季武らを睨み付けた。 その隙に綱は刀を拾い鬼を袈裟懸けに切りつけた。 鬼の巨体からすさまじい血しぶきが飛び、ゆっくりと仰向けに地響きたてて倒れる。 綱は夥しい返り血を浴びた。
 そのとき頼光の号令で一斉に矢が放たれた。 他の四人の鬼はそれぞれ数本の矢を身体中に受け、一溜まりもなく絶命した。
しまった、と綱は思ったが、既に遅く呆然と立ちつくしていた。

「綱、でかした、でかしたぞ」

 頼光が上機嫌で傍らへ寄ってきた。 一人の犠牲者もなく鬼退治を終えたのである。
 何がでかしたのじゃ、わしの方が遅れをとっているではないか、 と心の内で呟きながら、綱は頼光を無視して大将鬼を見遣った。
 鬼は虫の息で無念の顔付きであったが、 綱が近づくとやや表情が和らいだように見えた。 もはや人であることは疑いない。 だが、頼光殿は鬼であると言い切るであろう、と綱は暗澹たる思いであった。
弓を射た季武が止めを刺し大将鬼の首を刈った。

「兄者、危ないところだったなあ。刀はどうだ」

 金時が心配そうにやってきた。 綱は鬼を切った後、血を拭ってそのまま抜き身でぶらさげていた。 それを金時に見せた。
「おう、さすが俵藤太から譲り受けた名刀じゃ、刃こぼれ一つないぞ。 ほかの刀なら折れていたであろう。 定光の薙刀はひん曲がっておるのに」と金時は驚嘆した。

「そのほうらの働きにより鬼退治は終った。上々である」

頼光は大声で武者団をねぎらった。 そして船や洞穴の中を改めるよう指示した。 鬼は宝物を携えているという。 武者らはいくつかに分かれて船と洞穴を探した。
綱は宝探しなんぞには興味がなく、 拐かされていた五人の娘を探すべく船の方に向かった。
 物見の報告のとおり、船体の舳先には龍の頭があり、 その両眼が不気味な光を放っているように見えた。 中央部には雨よけの天幕が張られてあり、そこで寝泊りなどをしていたようである。
 娘らは船の中にいて全員やつれた様子はない。 綱は娘らから詳しく状況を聞いた。 彼女らも彼らを鬼とは思っていなかった。 意外にも逃げ出そうとしない限り、大事に扱われたという。 彼らの欲望の捌け口にされたのであろうが、綱はそのことに言及しなかった。 彼女らも問われたとしても容易に話さなかったであろう。
 必死の捜索にもかかわらず、宝のようなものは何も出てこなかった。 頼光は落胆しているようである。
 宝は出てこなかったが、多少の珍品が見つかった。 牛の角を左右に二本立てた兜が一個出てきたのである。
 武者のうち大柄な髭面の男が被ってみると、正しく鬼であった。 これを大将鬼が被って、 夜半に村へ押し入れば恐怖心も伴って鬼そのものに見えたであろう。
 船の中の大きな樽に真っ赤な液体が残っていた。 人の血にも見えるが、酒のような匂いがする。

「これは血ではないぞ。 漁師の娘らは酒といっていたぞ。 誰か試しに飲んで見よ」

 下戸の綱が武者らに命じたが、誰も気味悪がって飲もうとはしない。

「どれ、わしが飲んでみよう」

 酒好きの金時が出た。 彼の酒量は際限がない。
船底に転がっている器を無造作に手に取り液体を移すと一気に飲み干した。

「これはうまい、こんな酒は初めてじゃ、もう一杯」

 金時は童顔に笑みをいっぱい湛えている。 つられて何人かの武者も樽を取り囲み器ですくって飲んだ。
武者らも「これはうまい」とたちまちに酒樽を空けてしまった。
 この酒は赤葡萄酒のようである。 平安中期の日本にはまだ入っていなかった。 これを飲んでいるところを見られて、「人の生き血を飲んで」と思われたのであろう。
 洞穴や岩場には骨が散らばっていた。 よく調べると鹿の骨のようであった。 骨付きの肉を食べているところを見られ、 「人肉を喰らっている」と思われたのであろう。



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酒呑童子始末 -5- (完)

2020-05-07

酒呑童子始末 -5- (完)


 鬼の正体は何であったのか。
 渡辺綱にも坂田金時にも、もちろん源頼光にもわからなかった。 金時は大将鬼に力くらべを挑み、初めて敗北を喫し、 気が沈んでいて鬼の正体などどうでもよかった。 頼光は初めから決めてかかっている。 鬼でなければ都合がわるいのである。
 綱だけが鬼であることを否定しているだけに、その正体が気にかかっていた。 どこか異国の民か、異国といっても当時では中国大陸、朝鮮半島としか交流がなかった。
 鬼と見られた人々は、その風体と遭難した船体から見て、 漂流したバイキングであったとの説がある。
しかしバイキングとするには彼らが拠点とするスカンジナビアからアフリカ南端を廻ってインド洋、 太平洋を回遊するには当時の航海術から考えても無理がある。
 中国経由の西域人とも考えられなくもないが、 大陸人が海洋に漕ぎ出すことができるのであろうか。
 残念なことに頼光が全ての鬼を抹殺した以上、 その正体を探る手だては完全に潰えてしまったのである。
 いずれにしても彼らは残忍な海賊でなかったことは確かである。 村を襲って食料を奪ったのも、飢えをしのぐための止むを得ぬ手段であったろう。 船体の修理を終え食料が確保できれば、 娘らを解放しこの地を去って行ったのかも知れない。
藤原道長の熊野詣が彼らにとっては災難であったといえる。


 「鬼退治」をした熊野詣での一行は羅生門から朱雀大路へと凱旋した。 先頭の馬上には頼光の意気揚々とした姿があった。 その後ろには郎党数人が担いだ台の上に鬼の生首が載っていた。 前後に綱と金時、定光と季武が守るように続く。
 鬼の頭上には牛の角の兜が被せてあった。 これで完全な鬼である。 迎える都の群衆は誰一人疑いを抱く者はなかった。
 列の中程には道長の牛車があった。 これで藤原家の権勢も確固としたものとなっていく。
 人々は頼光、綱、金時に盛んに声援を送った。 この鬼退治に手柄を立てたとの噂が既に都中広まっていた。
 綱も金時もこの度は大した働きをしていない、 と思っていたので面映ゆかった。

「のう、金太郎、わしは郷里の渡辺へ帰ろうと思っておる。 もう頼光殿には仕えとうない」

 馬上から綱が金時に話しかける。 綱は武将としての頼光の器量を認めながらも、 彼の露骨な立身主義にはどうしても服することができなかった。 そこへ今回の「鬼退治」で完全に心が離れてしまったのである。 金時は力くらべに初めて敗れてから元気なく、いつもの快活さがない。 赤い酒を飲んだときは無理に陽気に振舞っていただけである。 綱からの話しかけにも上の空である。

「そなたも一緒に来ぬか」

 そこで金時が、うん、と綱の方に目を向けた。

「摂津の渡辺で一緒に暮らさぬかと聞いておるのよ。 都よりは住みよいぞ」

「本当か、わしも宮仕えにはあきあきしておる。 兄者と暮らしてもよいのか、こんなありがたいことはないぞ」

 金時の目に光が戻ってきた。

「ようし、これで決まりじゃ」


 藤原摂関家に大江広政という執事がいた。 彼はこの熊野詣でには随行しなかったが、供の武者らから一部始終を耳にした。 それらを基にして「酒呑童子始末」という書物にまとめた。
 大江氏は菅原家と並んで学問で朝廷に仕えた家柄である。 広政はその支流に生まれ文章家として秀でていたが、 三男であるため日の目を見ず、若いころに身を持ち崩していた。 道長が彼の才能に目を付け執事として藤原家に仕えさせることにしたのである。
 広政は潮岬での顛末を丹波大江山にすり替えた。 彼の出身地を鬼退治の舞台にしたかったのと、 都から遠く離れた紀伊の国の潮岬よりも都に近い大江山の方が、 伝説として長く残るであろうとの判断からである。
 鬼の親玉を酒呑童子としたのは、葡萄酒を飲んでいたのを連想したものと思われる。
 かくして、大江山の酒呑童子伝説は後生に残り、 潮岬の鬼退治は土地の人々から次第に忘れ去られていったのである。



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